新・所得倍増論

出版社:東洋経済新報社
2019著者:デービッド・アトキンソン

著者デービッド・アトキンソン氏は、1965年のイギリス生まれ。ゴールドマン・サックスに入社しパートナーまで経験するが2007年に退社し、2009年から国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社に入社、現在は同社の代表取締役社長である。最近特に、新聞雑誌などで同氏の名前を目にする機会が多くなったように思う。

 深刻な日本の生産性という問題

本書によれば、日本はすばらしい潜在能力を持った国だが、それが活かされていない。最も深刻な問題である生産性は、1990年に世界10位だったが、今では先進国で最下位(全人口ベースで世界27位)である。このままでは貧困が拡大し、人口減少とも相まってGDP(国内総生産)が減少する。それとともに、日本の国際的な影響力は弱まり、世界が必要とする日本的価値観や文化による貢献も機会を失う。しかしながら、人口減少という負の効果以上に生産性を増加させることでGDPを拡大することができるとして本書はその方策を述べている。これからは、アメリカの背中を追うのをやめて、欧州先進国のような生産性の高い中堅国を目指すべきと主張。1億の大国(日本のこと)が中堅国の戦略を実現して成果を上げれば世界初の試みが成功することになると述べている。

私も日頃から生産性について考えるところが多いので、所得倍増論というタイトルに惹かれて本書を読んだ。所得倍増論というのは日本の高度成長期に政権を担当した池田首相が発表した「所得倍増論」がオリジナルだ。その時は1961年からの10年間に実質国民総生産を倍増させることを目標に掲げたが、その後日本経済は計画以上の成長に至った( Wikipedia:所得倍増計画)。本書によれば、現状の1.5倍のGDP770兆円(本書の執筆は2015年)は達成可能であり、労働分配率の改善と労働人口比率の低下を反映すれば、所得倍増になるのだということである。

 日本人が勘違いしていること

この所得倍増の文字通りの実現可能性はともかくとして、興味があるのはその処方箋であるが、アトキンソン氏が本書で繰り返し指摘しているのは日本人の勘違いである。日本人は何かにつけてGDPを安心のよりどころにする。つまり、日本のGDPは世界第3位(少し前まで第2位)であるから、おおむね能力としてはそのあたりと思い込んでしまうということだ。しかし、国の能力は生産性が示すものでありGDPという合計値ではないとする。生産性とは、国民一人当たりや労働時間あたりのGDPであるが、GDPに限らず、この一人あたりという指標を使うと、製造業(11位)、農業(12位)など、産業別の生産高において能力不足が見えてくる。特に深刻なのはサービス業(14位)である。

 ITと女性の活用

サービス業はIT(情報技術)の活用によって大きく生産性が向上する。ニューヨーク連邦準備銀行の分析が紹介されるが、それは、1995年からのアメリカなど先進国の生産性向上の最大の要因は、IT、通信業界の発達によるものであるというもの。そして、IT投資の効果を引き出すには、企業が組織のあり方、仕事のやり方を変更し、人材その他にも投資する必要がある。つまり、イノベーションを起こして人の働き方をITに合わせることが重要というものだ。

また、海外との生産性ギャップのかなりの部分は、女性の賃金の低さで説明できるとしている。賃金の低さの結果として、女性が労働に参加すればするほど生産性が下がる。日米間で大きな男女賃金格差が存在するが、それは同一労働の賃金格差ではなく、そもそも同一労働をしていないことによるものであり、日本では男女が行う仕事がはっきり分かれていて、同じようにできる仕事が増えていない。それが、日本において女性が30歳を超えると急速に賃金ギャップが広がり、年齢とともに給与格差が広がる原因である。

本書では、その他にも、日本の低い生産性を説明する要素と、それらを変えることができない日本人の気質、風土について説明が展開されるが、処方箋と言える明確なメッセージは、この「ITと女性の活用」であると思う。これについては全く同感で、我が意を得たりの思いである。

 日本人が不得意な抽象化

このIT活用について、本書から離れて私の思うところを述べてみたい。ITとは情報技術、つまりテクノロジーのことである。しかしその効果を引き出すには、上記ニューヨーク連邦準備銀行の分析の通り、単なるテクノロジーの導入を超えて、イノベーションが必要なのだ。本書によればその障害は、従来のやり方を変えられない日本人の気質ということになるのだが、私の経験から言えることとして、日本人は抽象化が苦手ということがあるように思う。抽象化とは、それもこれも要するに一緒ということを看破する能力であり、それで良しとする勇気や責任感によって実行できると思う。日本人は、詳細な違いを発見するのがものすごく得意である。それが日本人の繊細さや器用さとして美徳とされてきたのだが、ITの時代には全くそぐわない。ITAI、ロボットという休まない機械を徹底的に働かせるには、それもこれも要するに一緒という姿勢がどうしても必要である。個別の違いに目をつぶるということがとどのつまりは仕事を変えるということなのだ。

 狙うべき相乗効果

IT活用と女性活用は大変相乗効果が高いと思う。女性は、非常に賢く(失礼かもしれないが)効率の良い生き物であり、デジタル化と情報開示によって間違いなく生産性に寄与してもらえるというのが、私の経験からも言える。男性のようにアナログな不透明さに向かって勇ましく挑んで果てるほど、女性はバカではない。

本書を読むことで、「ITと女性の活用」が日本の復活をもたらすという日頃の私の思いに自信を持つことができた。

(依田)

(ここで使用している画像は書籍と無関係です)